うつ病の一番の原因である”罪悪感”を捨てよう。アナタだけが悪い事なんて絶対無い!

うつ病の原因"罪悪感"を捨てよう。アイナメチヌオクリニック。

アナタがうつ病になる必要は全然ナイ。その”罪悪感”を、今日一緒に解消しちゃいましょう!!

 

 

みなさんこんにちは、アイナメチヌオです。

 

 

突然ですが今日は、”罪悪感” について書いていこうと思います。

 

 

 

いきなりなんでそんなネガティブな話題を!?

 

と思われるかもしれませんが、実は最近ちょっと気になる出来事が2つあり、この “罪悪感” について考えることが多かったので考えを述べさせてください。

 

そしてそんな “罪悪感” を抱える人に少しでもその重荷を下ろして欲しいと願っているので、そんな方はぜひ読んでみてもらえればと思います。

 

 

会社の優しい先輩がうつ病に。

 

 

まず1つ目の出来事です。

 

 

僕が慕っている隣の部署の先輩がうつ病になったのです。

 

 

でも、正直ここ最近ではうつ病になるのもそう珍しくはないですし、そもそも会社にも数人はいます。

 

なのでうつ病になったというだけでは特筆すべき出来事ではないのですが、問題は原因です。

 

 

僕の周りでは圧倒的に、

 

“上司からのプレッシャーが強すぎたから” とか、 ”仕事が忙しすぎて” といった理由が多いです。

 

まぁこれは、職場環境に依存するモノかもしれませんが。。。

 

 

でもその先輩は、優しくて真面目ながらもずる賢さや器用さも併せ持っていて、どちらかというとプレッシャーや仕事のしがらみを受け流しながらスピーディにこなすのが上手いタイプで、比較的うつ病とは無縁そうな印象を与える人です。

 

 

そこで、

 

「なんであの人がうつ病になってしまったんだろう…。」

 

と気になったので上司や同僚に聞いてみたところ、やはり理由は全然違ったようです。

 

 

その理由というかきっかけは、

 

”自動車事故を起こして、相手を骨折させてしまった事”

 

らしいのです。

 

 

 

正直、

 

「えっ、それだけ!?」

 

と思ってしまいましたが、

 

それだけらしいです。

 

 

 

まぁこの後の話にも関わるのでもう少し事故の内容や背景について詳しく説明すると、

 

  • 事故は車同士の正面衝突。
  • お互い一旦停止の交差点で、お互いに停止せずに衝突(両方とも悪い)
  • 相手は日雇いの建設業で、仕事ができない間は収入を得られない。
  • 相手は妻子持ち。

 

とのことです。

 

 

この話を聞いた時は正直、

 

「へ~、あんなに強いメンタルの人でも、うつ病になる時はなるもんなんだな~。」

 

程度にしか思っていませんでした。

 

 

むしろ、「そんなに気にするなんて、いい人だなー。」とお気楽に思っていたくらいです。

 

 

中途半端で可切れが悪いですが、とにかくこれが1つ目の出来事です。

 

 

人間が持つ感情で一番厄介な感情。それが “罪悪感” らしい。

 

 

さて、続いて2つ目の出来事。

 

僕の釣り仲間である精神科医の先生と久し振りにお酒を飲んだ時のコトです。

 

 

その先生にうつ病になった先輩の話をしたところ、

 

 

「そういう “罪悪感” が、本人には一番ツラいんだよ。」

 

「実はうつ病の患者さんから話を聞いていくと、かなりの確率でその “罪悪感” が顔を出すんだよ。」

 

という話をしてくれました。

 

 

 

でも僕は “仕事や上司のプレッシャー” が一番しんどいモノだと思っていたため、

 

自分の中だけで解決できる罪悪感なんか、気の持ちようでなんとかなるんじゃないんですか?

 

といった質問を投げてみました。

 

 

すると、

 

 

「プレッシャー自体が原因ということはほとんど無い。」

 

“上司からの要求に応えられなかった自分が悪いんだ” とか、 ”この責任ある仕事でミスをしてしまった自分が悪いんだ” と思ってしまうことが一番の原因なんだよ」

 

と言われました。

 

 

 

確かにコレには僕も目から鱗。

 

言われてみればそういう風に考えてしまうと僕もきっとかなり凹むと思います。

 

 

 

そして追い打ちをかけるように、一緒に飲んでいた若者のうち一人が、

 

“僕も、まさにそれでうつ病になりましたよ。”

 

とカミングアウトしてきたのです。

 

 

 

確かに僕にも、罪悪感を感じた経験はいっぱいあります。

 

 

全然知らなくて悪気はなかったけど、友達が好きだった女の子と付き合っちゃったり。

 

親が大切にしているクラリネットを壊しちゃって、謝れなくて隠したり。

 

 

それが自分の中で処理しきれないと、確かにいっぱいいっぱいな気持ちになっちゃいそうだなーというのは想像がつきます。

 

 

 

 

というワケで、この最近の2つの出来事を経て、この日の帰り道に僕は思ったのです。

 

 

 

ふむふむ、そうなのか。

 

“罪悪感” というヤツはそんなに厄介者なのかと。

 

 

そして、

 

 

世の中の “罪悪感” を減らせれば、もうちょっと幸せな気持ちになれる人が増えるんじゃなかろうか、と。

 

 

 

 

という事で、かなり前置きが長くなりごめんなさい。

 

 

今回の記事は、

 

“罪悪感” を分析して、消化して、気にならないようにしてしまおう

 

という主旨で書いていこうと思っているわけでございます。

 

 

 そもそも、罪悪感ってなに?

 

 

さて。

 

もちろんまずはコレですよね。

 

 

“罪悪感” ってナニ??

 

です。

 

 

ちょっとググってみましょうか。

 

 

“自身の行動・指向・在り様などに関して、罪がある、あるいは悪いことをした、している、と感じる気持ち・感情のことである。”

 

“自身の何らかの行いについて、内在する規範意識(正しいと認識されるルール)に反していると感じる所から罪悪感は生まれる。”

 

 

出典はWikipediaです。

 

他のいろんなサイトを読んでみましたが、まぁ確かにいろんな意見が書かれております。

 

きっとこの記事を読んでくれているアナタは、そういった有意義な記事を読み尽くした末にこのページに辿り着いてくれたのでしょうから、他のページの事にはあまり触れません。

 

 

 

どの記事を読んでも大体、

 

ふむふむなるほど、その通り。

 

と思いますよね。

 

 

 

でも先ほど挙げた”Wikipediaに書かれていた罪悪感の定義” について1つ言わせてください。

 

 

 

要は “罪悪感” って、

 

人間なら全員持っていて当たり前の感情

 

というコトですよね。

 

 

 

 

むしろ、

 

“コレは悪い事だ” って分別を持って考えている人や、自分に対して理想や美学のある人ほど抱えそうな感情に思えます。

 

 

 

罪悪感なんて持つ必要はない!

 

 

順序が逆になってしまってすみませんが、

 

この記事でお伝えしたい僕の結論を最初に言ってしまいますね。

 

 

その方が理解して頂き易くなると思うので。

 

 

僕は冒頭で書いた先輩も含めて、

 

今罪悪感に苛まれている人たちは、そんなに罪悪感を感じる必要なんてない

 

と思っているのです。

 

 

 

・・・・・。

 

 

すみません。

 

これだけ書くともの凄く薄っぺらい主張にしか聞こえないと思うので、もう少し説明しますね。

 

 

 

 

まずは、交通事故による罪悪感についてですが、

 

 

例えば先輩のような状況であれば、罪悪感を持つ必要なんて何も無いです

 

 

なぜかと言うとですね。

 

 

そもそも自動車運転というのは ”金属の塊を人間が高速で操作する作業” の事であり、その ”金属の塊” に人が当たったら当然ケガもしくは死亡するんです。

 

でも、金属の塊を高速で操作した方が生活が便利になるから、みんなビュンビュン平気で高速で操作し続けているんです

 

 

 

 

ここで暗黙のうちに優先度が付けられているのが分かりますか?

 

 

  1. 今の生活の便利さは手放せない。
  2. でもなるべく安全にしたい。

 

という優先順位になっているんです。

 

 

 

交通事故ゼロを願う人は大勢いると思います。

 

でも交通事故ゼロを実現する手段として、車を世の中から撤廃しようと活動している人はほとんどいないと思います。

 

 

 

もし交通事故ゼロと生活の便利さの優先順位が逆で、

 

  1. 絶対に交通事故での死者を出さないこと。
  2. その上で生活を便利にすること。

 

と国民みんなが思っていたら、まず自動車を全面禁止にする動きがかかっているはずですよね。

 

そうすれば日本だけでも年間4,000人以上の命が救われることになります。

 

 

 

でも、じゃあなぜこうならないのか。

 

 

それは、国民の考えが下記3つのうちのどれかである事が原因です。

 

 

  1. 4,000人の命よりも日々の便利さの方が大切だと思っている。
  2. 自分や自分の大切な人がその4,000人には入らないと思っている。
  3. そんな優先順位、考えたことも無い。

 

 

恐らく、③の方が大半なんじゃないでしょうか。

 

でも今日はあえて厳しいことを言います。

 

 

 

優先順位を考えたことがあろうがなかろうが、鉄の塊をビュンビュン操作している時点で、誰でも人を殺す可能性を生み出しているのです。

 

自分の便利さのために、年間4,000人を殺す殺人者候補の一人になっているんです。

 

そしてそれは、たまたま交通事故で被害者となった人も同じです。

 

 

 

自動車を運転している人全員が、加害者になる可能性と被害者になる可能性を持っているんです。

 

 

 

「なにを当たり前の事を。」

 

とバカにされるかもしれませんが、じゃあアナタは本当にそれを自覚して運転していますか? と問いたいです。

 

 

 

もし本当に自覚があるなら、大切な人が交通事故でケガをしても、相手を責められないことになります。

 

だって、自分も被害者も加害者も同じように運転していて、たまたま被害者のクジを引いてしまったようなものなんですから。

 

なかなかその覚悟を持った方は少ないと思います。

 

 

 

ちなみに誤解が無いように言っておきますが、

 

高速道路で相手の車を停車させて降車させ、その結果事故に繋がったような事例の場合は話が全く別です。

 

そういった話は交通安全とは全然次元の違う話であり、便利さと天秤にかけるような話ではありません。

 

 

 

でも難しいのは、相手のわき見運転などで事故に巻き込まれるのは、ある程度仕方ないとも思います。

 

なぜなら、日常的に運転している方で、わき見運転を一度もしたことが無いという人は恐らくいないと思うからです。

 

 

 

すみません、かなり脱線しましたのでちょっと話をもとに戻しますね。

 

 

そう、

 

今日は”罪悪感”の話です。

 

 

 

ここまでの話で多少伝わったかもしれませんが、

 

交通事故なんて仕方ないんです。

 

 

だってここまでで話した通り、

 

人の命よりも便利さを優先した社会になっているんですもの。

 

 

 

そのなかでたまたま加害者のクジを引いてしまっても、アナタが過剰に罪悪感を感じる必要はありません

 

 

 

大丈夫。

 

過失分の罰なら、法律が与えてくれますから。

 

 

その過失分だけ償ったら、あとは自分で自分を責める必要なんて1mmもありません。

 

 

 

ちょっと交通事故についてのお話が長くなってしまいましたが、他の罪でも同じように考えればいいんです。

 

人の彼女を略奪してしまった場合でも、つい犯罪を犯してしまった場合でも、法律やアナタの周りの人がちゃんと裁いてくれます。

 

だから、それ以上自分を責める必要なんてないんです。

 

 

 

それに、罪悪感を感じた時点で、アナタの中での贖罪は終わっているはずです。

 

 

大丈夫です。

 

それで足りなければ、また周りが罰してくれます。

 

 

「それがツラいんだよ!!」

 

と思うかもしれませんが、そんな事は生きている人間ならみんな大なり小なり味わってるんです。

 

他人から批判されない人間なんていないんですから。

 

 

 

ちなみに僕だって、今までの人生でたっぷり罪悪を犯してきたと思いますし(犯罪はしていませんよ)、罪悪感もたっぷり味わってきました。

 

それにきっと、アナタの友達や好きな人も同じように罪悪感を味わった経験があるはずです

 

でもアナタは、アナタの友達や好きな人を、必要以上に責めないでしょう?

 

それと同じことを、自分にもしてあげればいいだけです。

 

 

 

さて、だいぶ長くなってしまいましたが、多少はご納得頂けましたでしょうか?

 

批判の方が多いかもしれませんが、最後まで読んでくれたアナタとは気が合いそうですね。(そうでもないですかね…。)

 

 

 

とにかく、どうしても自分を責め続けて元気が出ないなら、一緒に話しましょう。

 

僕はアナタを責めないし、きっと友達になれると思いますから。

 

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